インタビューしました!雲の向こうはいつも青空Vol.9 宗俊貴恵さん
今年6月発行予定の
不登校インタビュー事例集
『雲の向こうはいつも青空』Vol.9。
今回お話をうかがったのは
会社員の宗俊貴恵さんです。
現在、人材派遣会社の営業担当として
多忙な日々を送っている宗俊さん。
小さいころから勉強も運動も得意だった
宗俊さんが不登校になったのは、
私立の女子校に通っていた
中学2年生のときでした。
特待生だった子の成績を、
宗俊さんが上回ってしまったことから
始まった同級生の「無視」。
学校に行けなくなった宗俊さんは、
母親に連れられて
適応指導教室やフリースクールを
何ヶ所も巡りました。
そこで出会う大人たちはいつも
「何があったの?」
「どうしてそうなったの?」
と、宗俊さんを質問攻めにしました。
そもそも生きることすら危うい状態で、
ただ息をするだけでも大変だったのに、
とても言語化できるような
状態ではありませんでした。
そんな中で出会った栃木県高根沢町の
フリースペース「ひよこの家」
の芳村さんだけは
他の大人とは違っていました。
まったく理由を聞いてこないのです。
別れ際に芳村さんが言ったひと言、
「あなたが明日、
生きていけるようにしようね」
という言葉は、今も
宗俊さんの心に残っています。
初めて出会えた“信用できる他人の大人“と、
心地よい居場所との出会い。
じっくり自分について考えることができた
「ひよこの家」での2年間は、
自分の不登校経験を消化できた時間だったと
宗俊さんは振り返ります。
その後、高校に進学し単身カナダ留学へ。
帰国後は「ひよこの家」のスタッフや
様々な仕事を経験する中で、
かつて将来が見えず不安だったころの自分が
ほしかったものーー「仕事」を紹介する職業
へとつながっていきました。
今、悩んでいる子どもたちには、
「今の私を見てほしい」
と宗俊さんは言います。
「すごい人」にはなれないかもしれない。
けれど、不登校でも「普通」にはなれる。
だから死ぬのは待ってほしい。
まずは生きて息をすること、それが大事。
「生きていれば、なんとかなる」
宗俊さんのメッセージが、今まさに
渦中で苦しんでいる当事者の子どもたちに
届くことを私も心から願って、心をこめて
これから記事にしたいと思います。
宗俊さん、長時間のインタビューに
ご協力いただき、本当に
ありがとうございました。
『雲の向こうはいつも青空』
Vol.9はこれで予定していた
すべてのインタビューを終えました。
今年6月の発行をめざして、
これから地道に書き起こしや
編集作業をがんばります。
どうぞ完成を楽しみにしていてくださいね。
金子(A)
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子どもの不登校に向き合うとき、おとなが大切にしたいこと
その著者・田中茂樹さんをゲストにお迎えした2022年8月のびーんずネットのセミナー内容を書籍化しました。
「待つしかないのでしょうか?」
「昼夜逆転、ゲームだらけの毎日に不安」
「甘やかしと見守りの違いがわからない」
など、不登校の子を持つ同じような悩みを持つ方にとって、田中先生の回答は非常に参考になるはずです。