「わからない」と言えること
私は宮沢賢治の短編の中で
「やまなし」というお話が好きです。
小学校の時に
教科書で読んで以来、
折に触れて読み返していますが、
その度に当時の新鮮な衝撃を
思い起こさせてくれるのは、
「クラムボンはわらったよ。」
からはじまる
二匹の蟹の兄弟の会話です。
痛快、言っていいんだー!
二疋の蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。
『クラムボンはわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『クラムボンは跳はねてわらったよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
上の方や横の方は、青くくらく鋼のように見えます。そのなめらかな天井を、つぶつぶ暗い泡が流れて行きます。
『クラムボンはわらっていたよ。』
『クラムボンはかぷかぷわらったよ。』
『それならなぜクラムボンはわらったの。』
『知らない。』
「知らない」って、言っていいんだ!
衝撃でした。
つぶつぶ泡が流れて行きます。蟹の子供らもぽっぽっぽっとつづけて五六粒泡を吐きました。それはゆれながら水銀のように光って斜に上の方へのぼって行きました。
つうと銀のいろの腹をひるがえして、一疋の魚が頭の上を過ぎて行きました。
『クラムボンは死んだよ。』
『クラムボンは殺されたよ。』
『クラムボンは死んでしまったよ………。』
『殺されたよ。』
『それならなぜ殺された。』兄さんの蟹は、その右側の四本の脚の中の二本を、弟の平べったい頭にのせながら云いいました。
『わからない。』
「わからない」も、言っていいんだ!
痛快でした。
正しく答えることだけが、正解だと思っていた
当時、小学校六年生の私が
なぜこのお話を読んで衝撃を受けたのか。
今にして思うのは、
学校という場所は
「正しい答え」を言わなければいけない場だと
小学生だった私が、
そう思い込んでいたからだと思います。
だから、私は
「しらない」
「わかならい」
と平然と言い放つ
蟹の兄弟の、会話に驚いたし、
その自由さを心から羨ましく思ったのです。
年月を重ねて、分別もついて
日々忙しく生きている今も、
このお話を読んだときに
痛快な気持ちになれるのは、
学校だけでなく、今の日本の社会全体が
こうであるべき、という
「正しさ」みたいなものを求める
やんわりと、でもジワジワとした
圧力を感じているからかもしれません。
「行かない自由」も尊重されていい
少し大げさに言うのですが、
何かを「する自由」については
奨励されますが、
何かを「しない自由」って
実はあんまり認めてもらえてない気がします。
したくないことは
「したくない」と言っていいし、
行きたくないところは
「行きたくない」と、言っていい。
例えば学校だって、
「行かない自由」が
尊重されていいと思います。
子どもは教育を受ける権利はあるけど、
行かなければならないという「義務」はないのです。
クラムボンって?
今でこそこんな風に
思えるようになった私ですが、
実際、我が子の不登校に直面した時に
すぐにそういう視点を持てたわけではありません…笑
それはそうと、
「クラムボン」って
何を象徴しているものだと思いますか?
・・・
答えは、きっと一つではありませんよね。
お話を読んだ人それぞれの
「クラムボン」像があるはずです。
それに、分からなければこう言えばいいんだし。
自信満々で!
「わからない」って。
金子(A)
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おはなしワクチン蓑田さんの書き下ろし小説『繭の城』
不登校・ひきこもりを題材にしたある家族の物語で、小説の形で描かれています。
固く閉ざされた少年の心のドアをそっとノックしてきた「ある人」。
彼女をめぐって静かに大きく進んでいく、家族の成長と再生の物語です。