私が「親業」で得たもの(4)子どもに、自分の人生を生きる権利を
こんにちは。
金子(A)です。
親業インストラクターの私が
なぜ親業を学ぶようになったか、
学んだことで、何が変わり、
何を得たかについてのお話しです。
5回シリーズの第4回目です。
母性と離別感
「あなたの子どもに、
自分の人生を生きる権利を与えてあげなさい」
とゴードン博士は言います。
「あなたは、あなた自身の人生を、
これまでに築き上げてきたではありませんか。
今度はそれを子どもにやらせてあげなさい」と。
しかし、ある意味それは
親と子が一体になったかのように
密接すぎる親子関係の中では、
痛みを伴うものではないでしょうか。
実際に私も、
この子にはこの子の世界があり、
私とは別の人生を生きていくんだ、
と頭では分かっていても、
ふと寂しさに襲われることがあります。
私から離れてほしくない、
いつまでも自分の子どもでいて欲しい、
という気持ち。
この子が幸せな人生を歩めるように、
私がこの子を守らなければ、という責任感。
特に母親はそうではないでしょうか?
子どもを愛するあまり、
子どもと自分を一体化してしまう。
子どもに自分の経験を重ねてしまう、
自分ができなかったことを
子どもにさせようと期待する。
それは、子どもを自分とは別の
独立した人、として
自分から離して見守る気持ち。
「離別感」とは相容れないもののようにも思います。
思い通りにコントロールするのとは違う
私の子どもなんだから、
私がこの子を守り、
導いてやらなければならないと思うのは
親として当然の感情ですし、
保護を必要とする未成年の子どもには、
もちろん必要なことです。
しかし、保護し導くことと、
自分の考えを押しつけ、
思い通りにコントロールしようとすることとは違うのだということを知らなければ、
ひいては親子関係に決定的なダメージを生む場合もあるのではないでしょうか。
私の知人にも、
エリート人生を歩んで来た自分の価値観を、
子どもに強く押しつけてきたために、
子どもに酷く反発された挙げ句、
親子関係が破綻してしまった人がいます。
子どものため、
と思ってしたことが子どもに受け入れられない。
それ自体を親が受け入れられないことが、
親子の間に大きな溝を作ってしまうのでしょう。
自分の人生も、子どもの人生も尊重したい
私の友人は言いました。
「私は勉強が嫌いだったから、
大学に行かなかったけど
子どもにはそうなって欲しくないの。
主人の両親にも、
子どもをいい学校に入れることを期待されてるし、
私がしっかりその期待にこたえなきゃ。
駄目な嫁だと思われたくない」
彼女の言葉は私の胸に重く響きました。
彼女の気持ちは分かる。
私も、子どもの人生で
自己実現しようとする気持ちが
少なからずあったからです。
けれど自分の人生を否定するような形で、
子どもに期待をかけるのは、
悲しくないでしょうか?
自分の人生も、
もっと大切にすることができれば、
きっと子どもの人生も、
その子自身のものとして
尊重できるようになるのでしょう。
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次回は、
親業を学んだ私の
気持ちの変化について、お話しします。
<続く>
P.S.
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